脱怠惰

毎日書こうとすると続かないので、気が向いたら書く

2024/03/03

朝から部活へ。

今日は比較的動きが良くて楽しめた。後輩といろいろ話す。めちゃくちゃうまい後輩たちがいるので期待大。

だいぶ楽しめた。

 

今日はこの前部活の顧問の先生と飲んでた時に知り合った、きょうこうせんで先生してはるかたのお家にお邪魔して初対面の人3人とマドレーヌを焼くなどした。うますぎたし、謎すぎたけど楽しい時間やった。いろんな人と会うのが好きな性格なので、最近いろんな人に会えて嬉しい。

 

家に帰って家事をいろいろするつもりが、死んだように寝てしまう。

最近よく話してるイギリス育ちの韓国人の子が、賢いなぁとは思ってたけどUCL出身で飛び級で卒業したって聞いてビビり倒す。一流大学で勉強してる人ってどんな感じなんやろって思ってたけど思ったより普通やけど、やっぱり賢い。いいなあ、、、

これ聞いて自分の子供がオックスブリッジとか行ったらいいなあって思ったけどこれは完全に甲子園に行けなかった親が子供に野球させるやつ。あぶない。

 

何もできないまま時間が過ぎる。無能すぎる。

お風呂入って洗濯回して、作業と勉強。

 

今日はすこし夜ふかししていろいろやろう。

 

あーーーー

未来に悩む。

 

Has Richard Rorty a moral philosophy?っていう論文から引用

p. 61

このことに加えて、カント主義的な道徳哲学者とは違って、ローティは道徳原則の普遍性と人間本性を否定する。そして、社会道徳の進歩とは「我々という意図self -intentions」を基礎とする連帯の拡大であり、個人道徳の終着地点とは「リベラルアイロニスト」である、と彼は主張する。ローティによると、「アイロニスト」というのは彼らの最も中心的な信念と欲求の偶然性、つまり彼らが自身の文化的、社会的文脈や社会化の過程に依存しているということに直面しているような人々である。したがって、「リベラルアイロニスト」とは、苦痛が減ること、人間が他の人間を辱めることがなくなることへの希望が彼らの根拠付けられていない欲求のうちに含まれるような人々のことである。連帯という概念はアイロニーと関係している。

p. 62

連帯は個人の持つ「我々」や「我々のうちの一人」という概念の絶え間ない拡張によって達成される。リベラルアイロニストのいう意味での連帯は何らかの仮定された人間本性を獲得しようとすることの結果ではなく、苦しみや残酷さの表明への感受性、文学批評の力を借りることで大きくすることのできる感受性を涵養することによってもたらされる。